金沢港をまちに開いていく、“拠点”となる建築を。
/vol.2 建築士・寺田千恵 インタビュー

浦建築研究所をより身近に。「事例紹介」では語られない裏話や、スタッフの素顔もお伝えしていくこちらのコラム。第2回は2020年にオープンした「金沢港クルーズターミナル」の意匠設計を担当した建築士・寺田千恵さんへのインタビューです。

延べ面積10,000㎡を超える、鉄骨造3階建ての巨大施設。最大4,000人に対応できるCIQエリアなど、日本海側では前例のないプロジェクト。さらに竣工を迎えたのはコロナ禍の真っ只中でー‥?金沢港の拠点施設としてのビジョンから、完成に至るまでの苦労話、建築業界で女性が働くということまで、クルーズターミナル内のカフェでまったりと振り返っていただきました。

寺田千恵/金沢市出身。1996年に「浦建築建築研究所」に入社。現在は統括設計グループで意匠設計を担当する
金沢港クルーズターミナル内の「海の食堂 BAY ARCE」にて

「金沢港へ行く」という選択肢

ー金沢港クルーズターミナルは、個人的に子連れでよくお世話になっています。寺田さんもプライベートで訪れられますか?

寺田:プライベートでは、あまり来ないかもしれないですね。気持ち的には「成人した子ども」というか、もう立派に一人歩きしている子に対して親があまりベタベタしてもなと(笑)。
もちろん仕事で訪れることは度々あるので、金沢港クルーズターミナルに新しくバス停が出来てバスが止まっている光景を目にしたりすると「この街に必要とされる建物になったんだなぁ」と、とても感慨深いです。

ー平日にも関わらず、今日もたくさんの方の姿が見えますね。そもそも、金沢港クルーズターミナルができるまで「金沢港に遊びに行く」という選択肢があまりなかったように感じます。

寺田:私もそうでした。釣りをするわけでもないし、海を見に行くなら砂浜がある内灘まで行っていました。「金沢に海がある」ということを、金沢に居ながらほとんど意識していなかったというか。
けれど、社長の浦が金沢港を拠点としたまちづくりのビジョンを語っていた時に、「こんなに市街地と海が近い街はない」と。確かに地図上で確認してみると近いし、駅からの距離感も良い。ちょうど金沢駅周辺が発展していた時期でしたから、金沢港を拠点とした新たな賑わいが生まれる可能性を、その時感じました。

金沢港50周年の、新たな拠点として

ーそもそもこの金沢港クルーズターミナルの建設にはどのような経緯があったのでしょうか。

寺田:2020年は金沢港開港50周年を迎える年で、その50周年事業として、駐車場部分の埋立工事や護岸工事など、金沢港全体の機能強化整備が進められていました。このクルーズターミナルも、その機能強化整備事業の一貫として計画されていたものです。

施設としては、船員の休憩所として建てられ、宿泊や会議・食事が出来る「金沢みなと会館」が当時ありましたが、老朽化が進んでいました。また、金沢港ではクルーズ船が寄港した際に、税関や出国管理、検疫などの手続きを行うCIQ(※)施設がなく、仮設のテントで対応している状況だったのです。「外国船を受け入れられる街にならないといけない」という動きは以前からあったので、その意味でも拠点となる建築物が必要でした。

(※)CIQ…税関(Customs)、出入国管理(Immigration)、検疫所(Quarantine)の略で、貿易上必要な手続き・施設

どちらの「ドキドキ」も

ーこのビッグプロジェクトの担当に任命された時はどんなお気持ちでしたか?

寺田:当初は、こんな大きな施設だとは思っていなかったんです。「CIQ施設」ということでしたが、日本海側に類似施設がないこともあって、規模感がいまいちピンとこなかったんですね。ところが、プロジェクトが進むにつれて全貌が見えてきて、これは…と。期待感とプレッシャー、どちらの「ドキドキ」も同時にありました(笑)。

ただ、「楽な仕事」って「楽」ではあるけれど「楽しくない」じゃないですか。本当の仕事の楽しさって、様々なハードルと自分の限界を超えた時に初めて感じられるものだと思うので。
「人生プラスマイナスゼロ理論」というのは私の持論なんですが、楽をしたら楽をした分だけ、苦労したら苦労した分大きな何かが返ってくる、何事もそういうものではないでしょうか。

多目的で巨大な「無柱空間」

ーこのプロジェクトで一番大変だったことはどんなところでしょうか。

寺田:大変だったことを「一つ選ぶ」ということが、すごく難しいですね(笑)。
まず「この施設の用途って何ですか?」というところから始まります。そもそも日本海側は気候条件などの関係で、一年の中でも4月〜11月までの約半年間しか船が来ないんです。となると、残り半年間の閑散期にも、多目的に活用できる施設でなければなりません。そこでスポーツ練習場や事務所、マーケット、展示場など様々な用途で申請しています。天井高も、強化ガラスもそれらを全て想定したものです。

そして、この施設の主となる機能はCIQです。出入国管理や税関などの機能を果たすには「死角がない」ということが大前提となってきます。かつ、最大4,000人に対応できる空間、つまり「柱がない大空間」である必要がありました。こんなに大きな無柱空間は通常の施設ではありませんし、私自身初めての試みとなりました。

最大4,000人のCIQにも対応できる、巨大な無柱空感

あの「開放感」を演出する舞台裏

寺田:そしてもう一つ苦心したのは「ガラス」です。セミナールームやカフェのスペースに設置されている大判ガラスですが、一番大きいサイズのもので幅10m×高さ2.4mあります。
「ガラス張りの建築」というのは施主からの強い要望でしたので、まずは「制作可能なガラスの最大サイズはどれだけか」を探るところから始まりました。「まず、どこに相談したら‥」ということから上司に相談する、という状況でしたね(笑)。

いろいろなところに問い合わせた結果、富山県の「三芝」の工場に最大3m~12m のガラスを製作できる窯があることが分かり、制作可能な寸法、風圧に負けない厚み、運搬可能な重さ、眺望のデザイン…など諸条件全てを調整した結果、「幅10m×高さ2.4m」というサイズに辿り着きました。また、腰から下の位置に梁を入れるデザインにしたりと、ガラスサイズを最大限に生かし視界を広げられるよう設計しています。

ー無柱空間とガラス。何気なく享受していた「開放感」の裏に、そんな苦労があったとは…すみません、全然気づかなかったです。

寺田:いえいえ、むしろそれでいいんです。何も考えずにここに来ていただいて「気持ち良いな」とか「楽しいな」と、ただ感じていただけたら十分で。「細かいことが気にならない、居心地が良い空間」であること、「なんかいいがんなったね」とおしゃっていただけることが、私の目指す建築でもあるので。

マルチな能力が求められる「建築士」

ーこれだけの規模の建築物となると、関係者やプレーヤーも多くて、各所との連絡・報告だけでも大変だったのではないでしょうか?

寺田:現場が始まってからは、もう“伝書鳩”状態でしたね(笑)。施工会社さんとのやり取りはもちろん、各種別途工事との調整、外構工事やライトアップ…いろんな関連工事との調整が必要でしたので、「電話だけで1日が終わった」という日もよくありました。

ー建築士さんって、「図面が描ければそれでいい」訳ではなく、様々な能力が求められるんですね。ちなみに寺田さんが考える、建築士に必要な能力とは?

寺田: 「デザイン力」はもちろんですけれど、「コミニュケーション能力」も必須ですし、「説得力・プレゼン力」も重要ですよね。これは私自身まだまだ鍛えていかないといけないと感じています。
あとはお客様に信頼していただける「誠実さ」と同時に、「この人に任せたら楽しくなりそう」というカリスマ性も必要なのかもしれませんし、あとは忍耐力と体力と…数え上げたらもうキリがないですね(笑)。

建築業界と時代と女性

ーこの案件を担当されているのが女性とうかがって、“バリキャリ”な女性像を勝手にイメージしていました。

寺田:「実際に会ってみると、イメージと違う」って、よく言われます(笑)。
私が就職活動していた頃の建築業界では「女性が大きな案件を担当するなんて夢物語」という雰囲気がありましたし、私自身「男性に負けずに頑張りたい」という負けん気溢れるタイプではなかったので、「いち設計員として建築に関われたら良いな」と思っていました。
けれど、新卒で入社した浦建築研究所では、男女の差別なく仕事がいただけましたし、自分のデザインも採用してもらえる。なので、やりがいがありましたね。

ー金沢港クルーズターミナルは、担当者をはじめ、構造設計や設備設計、施工者など、女性技術者が担当したことでも注目を集めました。これだけの巨大案件を女性が担当するケースは建築業界的にも少ないのではないでしょうか。

寺田:確かに、珍しい事例ではあると思います。だからといって「女性」というところにフォーカスされすぎるのもちょっと違和感もあって。
確かに私が入社した頃は、未熟な部分もあってか、なかなか相手にしてもらえないこともありました。その悔しさをバネに一級建築士の資格を取得した部分もあるのですが。それが「女性活躍」と持ち上げられる時代になり、周囲の反応の違いに少し⼾惑ってしまう面もありました。
私としては、仕事のスタンスは今も昔も、全く変わっていないので。どんな時も、目の前の与えられた仕事に一生懸命に取り組む、それだけです。

コロナ禍に迎えたオープン

ー様々なご苦労があって2020年2月に無事竣工した金沢港ターミナルビルですが、オープンはちょうど新型コロナウイルスの感染拡大が始まった時期と重なりました。

寺田:ちょうどクルーズ船での艦内感染拡大がニュースになっていたこともあって、オープニングセレモニーで来航する予定の船も来なくなり、ひっそりと竣工を迎えました。
金沢港クルーズターミナルの基本設計が始まったのは2017年でしたから、それは誰も想像していなかった状況です。クルーズ船への視線も厳しかったですし、しばらくは船が寄港する予定も全く立たない。「この先どうなってしまうのだろう」とか「誰も利用しない施設になってしまうのではないか」と、当時はとても不安でした。

けれど、今振り返ってみれば、コロナ禍にオープンしたからこそ「地元に根付く施設」になったとも言えるのではないかなと。
緊急事態宣言下で、県外には行けない県民の皆様に、真っ先にお披露目することができた。金沢港クルーズターミナルは、元々はクルーズ船を利用する県外や海外の方を対象とした施設です。もし最初からクルーズ船が次々と寄港していたら、地元の人にとっては“近寄りがたい場所”になっていた可能性もあります。

また、「船が寄港しない半年間も活用できる多目的な施設」を想定して設計していたことも幸いしました。コロナ下ではソーシャルディスタンスを確保する必要があったので、「広い空間」も求められます。地元の皆様の講演会などにも、この施設を活用していただけました。

金沢港の「アイコン」になる覚悟

ー今ではすっかり「金沢港へ行く」ということが、市民の休日の選択肢としてすっかり浸透したように感じます。その時に頭に浮かぶのは、やはりこの建物です。

寺田:だとしたらすごく嬉しいですね。「金沢港といえばあの形」と、パッと頭に浮かぶアイコンのような建築を目指していたので。老若男女・誰にも伝わりやすくて、「海」「波」を連想させるシンプルな建築。“金沢港が街に広がる拠点”となる上で、「わかりやすさ」は必要な機能だと考えていました。それによって巻き起こるであろう賛否は、もう受け止めようと。

ーなるほど。「褒められる建築」より「伝わりやすい建築」を優先されたわけですね。

寺田:ただもちろん、「単調で大きな建物」で終わらないよう、細やかな工夫は随所に施しています。水引をイメージしたボーダーの壁面や、波型のパネル、天井にも凹凸を設けたりと、「大きな面」にもテクスチャーや質感を与え、「のっぺりとした面」にならないように配慮しています。

「誰か」にとっての「何か」の場所に

ー最後に、これからどんな建築を設計していきたいと思われていますか?

寺田:もともと私は「自分が考えたものをカタチにしたい」というところから建築の道に入っていますが、「“誰か”の“何か”になる建物を作っていきたい」と強く思うようになったのは、このプロジェクトを経た心境の変化です。

建物ができた当時は「なんだ!」と驚かれたとしても、だんだんと地域に馴染んで、日常の風景になっていく。ここで働く人にとっては毎日の職場であり、住民の方のお散歩コースになったり、あるいは「初めてのデートはここで海を見た」という思い出の場所になったりー‥。
「賑わいの拠点施設」という言葉は、これまでもコンペなどでよく使っていましたけど、「賑わいの拠点になるって、こういうことなんだなぁ」って初めて実感できたのが、この金沢港クルーズターミナルでした。
物件の大小を問わず、これからも「誰かの何かになる場所」を、ひとつひとつ作っていけたらいいなと思っています。

(取材:2023年 6月)