街と子どもたちに、還元していくクリニックへ。/ vol.14 松田小児科・消化器IBDクリニック

浦建築研究所のミッションステートメント「共に、築く」。こちらのコラムでは、私たちとプロジェクトを共にしてくださっている方々へのインタビューもご紹介しています。今回は浦建築研究所が設計を担当し、2025年6月にリニューアルオープンした「松田小児科・消化器IBDクリニック」院長の松田耕一郎さんへのインタビューです。
金沢市片町で昭和28年に開業して以来、地域の小児科として70年以上の歴史を持つ同院。今回のリニューアルでは、小児科だけでなく北陸初のIBD(炎症性腸疾患)クリニックとして、また薬局やカフェ、料理教室といった様々な機能を持つ複合施設となります。「子どもたちと街に還元していきたい」と話す松田先生に、リニューアルの経緯やそこに込めた想いをうかがってきました。
(※取材は、仮移転中の増泉の医院にて2025年4月に行いました)

松田耕一郎先生。松田小児科創業者・松田純也氏の孫。富山県立中央病院消化器内科に約20年務め2025年4月より松田小児科医院へ。北陸におけるIBD治療の第一人者。
繁華街・片町で創業70年の小児科医院
──実は私自身(インタビュアー)、子のかかりつけクリニックとして松田小児科医院さんには大変お世話になっているんです。
松田:そうでしたか、それはそれは。小児科医であり当法人理事長の武田万里子は、私の妹です。
──以前の建物の時から通わせていただいている身としては、あの大きな建物が解体され「新築リニューアル」になるとうかがった時は驚きました。リニューアルに踏み切られた経緯を教えていただけますか?
松田:はい。以前の建物はもう相当古くて、“一見さん”にとっては、かなり入りづらい雰囲気だったと思うんです。
松田小児科医院は、僕の祖父にあたる松田純也が、1953年に片町で開業した病院です。(当時の名称は松田小児病院)。内科医だった僕の父も大学病院を定年退職後、かつての患者さんを診るために内科もやっていました。そしてこの70年の間に新館や入院施設など増築を繰り返してきていて、規模が大きくなり、かつ老朽化してしまった建物を今後どうするのか。父も体調が悪くなってきていたので「どうにかしないと」とは考えていたことでした。

小児科で得たものは「子どもたち」へ還元したい
松田:かつ、新型コロナウイルスの時期に相当赤字になってしまって。小児科だけだと、この間はどうしたって収支が赤字になるんですよね。
──「小児科は手間がかかる(=人件費がかかる)」ために、クリニックの中でも元々赤字になりやすいジャンルだということは耳にしたことがあります。コロナ禍でも子ども達のかかりつけ医として奮闘してくださったことに頭があがりません…。
松田:そんな中でも資産を見てみたら、70年の間小児科を続ける中で蓄えられてきたお金が、そのまま手つかずで残されていたんです。松田家はみんな質素というか、お金を使わない人達なので。
この資産はいわば「子どもたちからいただいたお金」です。だったら、そのまま「子どもたち」に還元しようと。そこでその資金を元手に、建物設備を一新するリニューアル計画を決意しました。もちろん、かなりの借金もしています(笑)。

「病院を作りたいんですけど、どうしたらいいですか?」
松田:建物を解体して新築することには一族皆大反対でしたね。病院は長年家族の自宅でもあった思い出のある建物ですし、なにせ規模が大きすぎるので。
しかし減築したり、スケルトン状にしてリノベーションするにも、構造が古すぎて意味がない。そこで「100%俺の好きにさせてもらいたい」という条件付きで、僕が新築計画を担当することになりました。なので建築に関しては、僕の一存で好き勝手やらせてもらっています。
──では、浦建築研究所に設計を依頼された経緯をお聞かせ願えますか?
松田:僕は20年以上、富山県立中央病院で消化器内科医として務めていました。日々仕事が忙しすぎて、医療関係者以外では全く「知り合い」がいなかったんですね。それにずっと富山にいたので、金沢の、さらに建築関係者だなんて全く分からない。
そこで、“スーパーゼネコン”といわれるところに、とりあえず一軒一軒直接電話をかけていったんです。「病院をつくりたいんですけど、どうしたらいいですか」って(笑)。

──先生自ら「どうしたらいいですか」と直電。なんというか、実にシンプルなアプローチの仕方だったんですね。
松田:逆に皆さんはどうしているのか知りたいくらい(笑)。 そしたら、声をかけていたゼネコンの一社から「浦建築研究所」をおすすめいただいたんです。そこで浦建築研究所さんにもお声がけして、それぞれの会社さんに設計提案していただきました。僕は「全社合同でプレゼンを見せ合おう」って提案したんですけど、どの会社さんも「建築業界ではそういうことはやりません」って言われて、「そうなの?」と(笑)。
医療業界では、業者間で一同にプレゼンするのが当たり前だったので。そっちの方が競争力が働くし、切磋琢磨し合えるんじゃないかと僕は思うんですけどね。とにかく、そういう“建築業界の不文律”すら全く知らないような状態だったということです。まぁ何にも知らなくても、何とかなるものですよ。

重視したのは「デザイン」と「クリエイティブ」
──ゼネコン級の企業が居並ぶ中で、浦建築研究所の印象はいかがでしたか?
松田:浦建築研究所さんは、ホームページを見たり、浦社長とお話する中でも「クリエイティブな集団」だという印象を受けました。ベルリンで茶室を作ったりと文化的な取り組みも色々とされていて、直接は「お金」に繋がらなかったとしても「デザイン」や「創造性」を大事にできる企業って、県内では少ないのではないでしょうか。
それにもうひとつ、「ノエチカ」というアート系の会社の代表を浦さんがされているのも面白いなと。「アート」はこれからますます大事になってきますよね。僕もChat GPTなどのAIをよく使うのでその便利さは理解しているつもりですが、基本的にはAIがやれることは「真似」だから。「ゼロから生み出す」というクリエイティブは、AIにはできないことですからね。



街を活性化させる「建築の力」
──各社に建築提案を依頼する際、何かコンセプトのようなものは提示されたのでしょうか?
松田:僕は「建築の素人」なので、コンセプト云々に素人が口を出してもしょうがない。なので、基本的には全てお任せしていました。ただ唯一「今回はデザインセンスだけの勝負です」とは、一番最初の段階でどの会社さんにもお話していたんです。
片町には色々な規制があって、「大きな看板をつける」といったようなアピールの仕方はできません。だからこそ“建物のデザイン勝負”なんです。それに病院の建物は、片町のスクランブル交差点からも見えるような景観的にも重要な立地です。片町を活性化させるためにも、“建築の力”は必要だと思っていました。
けれど、なぜか皆さんがもってくるのは “無難な提案”ばかり。“病院”という固定概念がそうさせるのかもしれませんが、僕にはどうも物足りなかったんです。



「センス」が問われる、“一定以上の領域”で
──ではその中でも、浦建築研究所には何か光るものがあったということでしょうか?設計を担当した巻設計士は、意匠チームの若手エースです。
松田:「一番若い人を連れてきてほしい」って、僕が最初に浦建築研究所さんにお願いしたことなんです。
僕は医療者の中でも「内視鏡系」の医者です。内視鏡って、胃カメラなどの普通の診療なら誰だってできるんですけれど、それ以上のこととなると「才能」や「センス」がないとできない領域になるんですよね。
そういう意味でも、巻さんはよかったですよ。デザイン性が高くて、同時に「現実的にできる/できない」もデータではっきりさせてくれる。「クリエイティブを現実に上手く落とし込む力」がある人だと感じました。



日本海側初の「IBD専門クリニック」として
──また、松田小児科医院は「北陸初の」北陸初のIBD(炎症性腸疾患)専門クリニックとしても話題を呼んでいます。
松田:専門クリニックとしては北陸だけではく、日本海側でも初になると思います。
「炎症性腸疾患(以下:IBD)」の患者さんは年々増えてきていて、国内に40万人くらいいるといわれています。そして特に20-30代くらいの“若い人”に多いんです。けれどIBDの認知度自体はまだまだ低くて9%ほどに留まっています。
なので、啓蒙の意味も込めて「松田小児科・消化器IBDクリニック」と名称を変更しています。もっと広くIBDのことを知っていただけたらと、5月には「World IBD Day in Kanazawa」を開催予定で、僕が実行委員会の委員長を務めています。

食生活が密接に影響するIBD。食から導く健康
──私自身、今回の取材で初めて「IBD」について知ったのですが、どんな病気か簡単にご説明いただけますでしょうか。
松田:はい。「炎症性腸疾患/IBD(Inflammatory Bowel Disease)」とは、腸を中心とする消化管粘膜に炎症が生じる疾患で、症状としては繰り返す腹痛や下痢が代表的です。多くは原因が不明ですが、脂質が多い食生活が関係しているとはいわれています。慢性疾患なので、長く付き合っていく病気にはなりますが、適切な治療と食事で症状をかなり改善することはできるんです。
リニューアルする病院では、1階に入る「あおぞら薬局」さんのカフェで、料理教室も開催予定なんです。講師は僕の担当していた患者さんであり管理栄養士の方にお願いする予定です。IBD患者さんだけでなく、小さなお子さんから大人まで、食生活や腸活への気づきになればと思っています。

もう一度、片町を「人の暮らしのある街」に
──ちなみにリニューアルオープンする病院は、クリニック機能だけではなく、「薬局」や「カフェ」「花屋」など複合的な機能を有した施設になるとうかがいました。そこにはどのようなお考えがあったのでしょうか?
松田:やはり「片町に人が戻ってきてほしい」という想いでしょうか。僕も20年前まではこの病院に住んでいたので、片町で育ってきました。昔の片町は今よりもずっと混沌としていて危ない街でもあったけれど、一方で“人の暮らし”がある街でした。子どもからお年寄りまでの生活が、片町-香林坊間で成立していたんです。
今では片町にちょっとお茶ができるところもないので、昔馴染みのスナックのお姐様方も「待ち合わせするところもない」と嘆いていました。なので新しい医院では1階にはあおぞら薬局さんの薬局とカフェ、そしてフラワーショップもテナントとしてオープンいただく予定です。



──それは受診される患者さんだけでなく、街を通る人達にもありがたいです。ちなみに2階や3階はどのような業態になりますか?
松田:2階は「小児科」と「内科」になります。「小児科」は理事長の武田万里子が担当し、「内科/消化器、IBD」は私が担当します。
──これまでは「小児科」としてのイメージが強かった松田小児科医院さんですが、ホームページのキャッチコピーにもあるように、これから「家族のかかりつけ医」としてお世話になれるわけですね。
松田:もちろんです。ちなみに内科医としてこちらにいるのは月・水・木・土曜日となります。火・金曜日は、金沢聖霊総合病院の内科医として勤務しているので、受診されたい曜日によっては、そちらにご来院いただければ私がおります。



この土地で愛され、育っていくように
松田:そして3階が病児保育「ひまわりるーむ」になります。ここがすごく広くて気持ちがよい部屋で、僕がずっといたいくらい(笑)。市内の病児保育の中でも指折りの居心地の良さだと自負しています。
──私も働いているので「ひまわりるーむ」の病児保育には大変お世話になりました。松田小児科さんが院内で病児保育を始められたのは今から約15年前になりますが、どのような想いで?
松田:病児保育は、僕らの母が担当しているんですよ。うちの病院に受診しにいらっしゃる親御さんの中には、市内中心部で働いておられる方も多いので、何か力になれたらと。
ちなみに3階にはテナントスペースがあって、本当は精神科のクリニックに入ってもらえないかと思っていたんです。心に病を抱えている子ども達が今とても多いので。色々あたって見たのですが、精神科は今お医者さんが足りないみたいで難しかったのですが。

松田:最後にテラスですが、“街中の庭”のようになればいいなと。2階3階のテラスは自由に上がっていただけますし、街なかに緑があるとやっぱり気持ち良いじゃないですか。まだまだこれからなんですけど、ゴールデンウィーク明けには屋上でミニトマトを植えてみる予定なんです。将来的には、皆さんにも利用していただけるようなアーバンガーデンにできたら良いなとも思っています。
テラスの植栽も植えたばかりで、まだまだ小さく存在感がないのですが、この場所で大きく育っていってくれると嬉しいですね。

(取材:2025年4月)