変化にゆだねて気づく、変わらないもの。喪失から、生まれるもの/vol.20 山本基さん

浦建築研究所のミッションステートメント「共に、築く」。こちらのコラムでは、私たちとプロジェクトを共にしてくださっている方々へのインタビューもご紹介していきます。
第20回は、アーティストの山本基さんです。山本さんは、浦建築研究所が改修を担当した「金沢西病院」の外壁とエントランスをはじめ、建築とアートが融合するプロジェクトの数々にご協力いただいています。“塩のアーティスト”として世界的に知られるようになった山本さんが、塩以外のメディウムでコミッションワークをつくるようになった転機や、作品づくりにおいて大切にされていることなど、アトリエにおじゃましてうかがってきました。

<Profile>
山本基(やまもと もとい)/1966年広島県尾道市生まれ。1995年金沢美術工芸大学絵画専攻卒業。浄化や清めを喚起させる「塩」を用いてインスタレーション作品を制作。床に巨大な模様を描く作品は長い時間を掛け、一人で描き上げる。展覧会最終日には作品を鑑賞者と共に壊し、その塩を海に還すプロジェクトを実施している。また、緻密なドローイングや鉛筆画なども制作。近年は企業とのコラボレーションも手掛けるなど精力的に活動を展開している。 MoMA P.S.1をはじめ、エルミタージュ美術館、東京都現代美術館、箱根・彫刻の森美術館、金沢21世紀美術館、瀬戸内国際芸術祭等、国内外で多数発表。 HP:https://www.motoi-works.com/
できるだけ「穏やかな気持ち」で訪れられるように
──昨年「金沢西病院」の外壁とエントランスのために《時の波⾳》を制作いただきました。まずはどんなコンセプトだったのかお聞かせいただけますか?
山本基さん(以下 山本):「病院」って、良くも悪くもさまざまな感情を抱く場所じゃないですか。僕自身、妹と妻を病気で亡くしているので、病院というものに対して感謝の念もあれば、辛い記憶だってある。
「金沢西病院」においても、ドキドキしながら再検査の結果を聞き行ったり、ご家族のお見舞いに来られたりー‥皆さんいろんな気持ちで訪れていると思います。その時に、できるだけ穏やかな気持ちで玄関を通れるように、そんな願いを込めて波のモチーフを描きました。僕の故郷、尾道の海がまさにこんな感じなんですよ。ちゃぽん、ちゃぽんとやさしく波が打ち寄せて、その音を聞いている時間が僕自身すごく好きだったので。そしてエントランスには、「再生」のモチーフである「渦巻」の作品を設置して、外から繋がっている一連のイメージで制作しています。
「自分の物語」だけでなく、「それぞれが持つストーリー」を繋げて
──浦建築研究所と今回コミッションワークをご一緒されてみていかがでしたか?
山本:すごくやりやすかったですよ。特に浦建築の子会社であり、アートに強い「ノエチカ」さんがコーディネートに入ってくれたことは大きかったですね。今までもいろんな場所でコミッションワークをしてきましたが、“美術の経験と実績がある”という前提のもと協働ができるのは、やはり全然違います。照明の当て方一つから関わってくる話ですし、通常はその部分の擦り合わせにすごく時間がかかることも多いので、アーティストとしてはすごくありがたいですよね。
それにコミッションワークは、“自分の中にある物語”だけでなく、“それぞれが持っているストーリー”を、自分のやりたいことと繋げながら一つの形として提示する、というところに面白みを感じています。
──これまでもいくつかのプロジェクトでご一緒いただいていますが、浦建築との最初の接点はどこだったのでしょう?
山本:浦さんと出会ったのは、もう10年以上前かな?確かワインバーで。街に飲みに出られていたということは、まだ妻が元気だった頃だから。“営業活動”という名のもとに、街へ出やすかったので(笑)。今は子育てがあるし、全然飲みに行かなくなっちゃいましたけどね。
出会って間もない頃から「こんなことできない?」って、浦さんからコミッションワーク(※)のお声がけをいただいていたのだけれど、「それは自分がやりたいこととは違う」って当時は僕が断っていたんですよ。でも今にして思えば、まだ自分が「何のためにつくるのか」ということを、ちゃんと言葉にできていなかっただけだったんですよね。その核がなかったから「違う」っていう否定の形でしか捉えられていなかった。
(※)コミッションワーク…クライアントからの依頼に基づいて、オリジナル作品をつくる受注制作。
「塩」以外のメディウムで、コミッションワークを始めた理由
──当初は断っていたコミッションワークを、受けてみようと思われるようになったのには、どのような心境の変化が?
山本:理由は二つあって、一つは妻が亡くなったこと。一人で子どもを育てなくてはいけなくなって、仕事との向き合い方を考え直そうと。もう一つは、新型コロナウイルス。それまで塩でつくるインスタレーション作品を中心にしていたのですが、感染拡大で先々の展示予定が全部白紙になってしまって。
娘を食べさせていかないといけないし「何かやらないと」と思っている時に、たまたま「金屏風に“絵”を描いてほしい」というご依頼をいただいたんです。普段はあまりやらない仕事だったけれど、その金屏風というのは依頼主のお父さんの“形見”だった。それは「亡くなった人との思い出を忘れないためにつくる」という、自分が長年やってきたことと重なるなと。それでやってみたら、面白かった。
描いてる時の感覚も、塩のインスタレーションを描いている時にすごく似ていて、使っている道具もほぼ同じ。そこから塩以外のメディウムで、大きな平面作品を描くようになりました。そこで昔から声をかけ続けてくれている浦さんにゆだねてみようと。浦さんには助けてもらった、心からそう思っています。
塩のアーティスト、それまでの道程
──ある意味で抗い難い環境の変化が要因となって、「塩」だけではない作品づくりが始まったわけですね。では、まずはその「塩」の作品を作られるようになるまでの道程を教えていただけますか。山本さんのシグネチャーでもあったわけですが。
山本:僕、工業高校を卒業して、造船所で働いていたんですよ。実家が自転車屋で、そこを継ぐつもりだったんですが、いきなり最初から親父と働くのも気が進まない。それで一旦造船所に入ったのですが、プラザ合意の円高不況で経営が厳しくなってしまって辞めたんです。
しばらく山登りなど好きなことをする中で、いろんな人と出会って。すごい生き方をしている大人がいっぱいいて、かっこいいと思った。それで「自分もやりたいことをやろう」と、夜勤でお金を貯めて予備校に通い、金沢美大の油絵科に入学しました。
──(高校や大学時代の絵を拝見しながら)上手い…!やっぱり美大に入学される方は元々の素質が違うのですね…!
山本:いやいや。僕は上手くもないし、技術があるわけではないけど「時間をかけてコツコツものをつくる」ということは、昔から好きだったんですよね。そういう意味では、やっていることは今と全然変わらない。でも当時は何かテーマがあったわけでもなく、授業でも言われたものをただ描いているだけだったんです。
物質としての美しさと儚さ
山本:けれど大学一年生の冬に妹が病気になり、“死”というものに直面します。悪性度が高い脳腫瘍で、今でも治療が難しいとされる難病です。当時はまだ終末期医療や介護保険制度も確立されていない時代でしたし 、本人の希望もあり最期は家で看取りました。「消えてなくなるもの」「自分の力ではどうしようもないもの」とどう向き合えばいいのかーー。そんなテーマにぶつかる中で「葬式」について自分なりの解釈をしてみようと、“お清め”の意味で「塩」を使い出したのが「塩の作品」のはじまりです。
当初はそういった文化的背景からでしたが、現在も塩を使い続けているのは、単純に素材として「綺麗」だから。無色透明の立方体が、光を受けて白く輝く様子が美しくて…何だか当時の自分の気持ちを、受け止めてくれるように感じたんですよね。
そしてもう一つの理由は、塩は「溶ける」から。湿度が高いと、塩って完全に溶けて塩水になってしまうんです。その性質にも惹かれて、今も使い続けています。
再生のモチーフ、思い出の場所に繋がる一本道
──では今にも続く、「渦巻」や「迷宮」モチーフやのモチーフはどこから生まれたのでしょう?
山本:渦巻や迷宮は、洋の東西を問わず“再生のシンボル”として用いられてきました。渦巻は自然界や宇宙など様々なところに発生する秩序です。メインモチーフとしては鳴門海峡の渦潮があるのですが、日常のちょっとしたことにも渦巻は生まれていて、ある意味普遍的な形といえます。
また「迷宮」というと“迷路”をイメージする方も多いかもしれませんが、元々は「一本道」なんです。入り口が一箇所あって、ぐるぐる巡って必ず中心に辿り着く。西洋では「迷宮(ラビリンス)」と「迷路(メイズ)」は言葉の上でも明確に分けられています。今の自分の立ち位置が、大切な人との“思い出の場所”に繋がっていてほしい、そんな想いで僕は迷宮を描き続けています。
思いがけない出来事で、“逆に繋がる”可能性
──渦と迷宮を「塩」で描く…どの作品も気が遠くなるような作業風景が容易に想像できます。
山本:まぁ、気は遠くなるんですが(笑)。それを言うなら、みんな「気が遠くなる仕事」をやってるじゃないですか。あなた(ライター)だってそうだし、浦さんとこの建築士さんだってそう。工芸の作家さんだって、すごいことしてるじゃない。だから特に変わったことをしているとは思いませんね。
──描いている時の心理状態って、どういった気持ちなんでしょう。瞑想状態のようなー‥?
山本:そんな風に、無心で描けたら理想だけど、実際そうはいかないですよね。「早くビール飲みたいな」とか煩悩が色々浮かんでくるし、腰も痛い(笑)。還暦を迎え、最近は体のメンテナンスも仕事のうちだと思ってやっています。
──作業の途中でアクシデントが起こって、描き直しになったこともあるとか。
山本:色々ありましたね。ペンチが落ちて来たり、犬やおばあちゃん、ネズミに鳥…いろんなものが作品に入ってくるし(笑)。その時はそのエリアは全部壊して、一から描き直します。
──わぁ…(言葉を失う)
山本:でも、このアクシデントがあったから、「逆に繋がった」かもしれないと、考えるようにしてるんです。先ほども話したように「思い出の場所に繋がってほしい」と願いながら僕は迷宮を描いてはいるわけですが、元々はもしかしたら繋がってなかったかもしれない。このトラブルによって「繋がった」可能性もあるし、その逆もあるわけだけど。その時その時の出来事も、作品に取り込んでいきたいと、今は思っているんです。もちろん、アクシデントが起きた瞬間は「はぁ…」とため息はでますが(笑)。
「消えてなくなる」からこそ、ちゃんと向き合える
──さらに、その渾身の作品を、最後は「海に還る」という取り組みをされています。
山本:以前は指一本でも作品に触れられるのが嫌だったんですよ(笑)。自分にとって、塩の作品は“聖域”のような存在だったのかもしれません。
そんな中「海に還る」プロジェクトのきっかけになったのは、2006年にチャールストンで開催した展示。「自分も父を亡くした」という人が、自分も想いを海に還したいからと申し出てくれたこと。最後に作品を壊して撤去するときに、モップで「THANK YOU! MR. YAMAMOTO」って書いてくれた新聞記事が送られてきて。「作品がなくなるときも、人の心を動かすことができるのだ」と気がついたんです。今では、ワイワイ作業したり、塩の上でダンスしたりー‥みんなが楽しそうにしてくれる様子を見るのが何より嬉しい。
そして、長い歴史の中でほんの一瞬作品として使わせていただいた塩を、再び自然の循環に戻す気持ちで行っています。
ーー輪廻の考えに通ずるものも感じますね。作家さんによっては、「100年先にも作品を残したい」という方もいらっしゃると思いますが。
山本:僕は全然思わないですね。「消えてなくなるもの」の方が、自分はちゃんと向き合える。だって、ずっとそのまま残ると思ったら、押入れにでもしまって結局見ないかもしれない。けど「あと1週間しか時間がない」って言われたら、それは大切にしますよね。抱きしめて一緒に眠るかもしれない。僕の作品も、そんな風になったらいいなと思っています。
“元に戻す”だけではなく、
喪失から生まれてくるもの
──ちなみにこちらに飾ってある、キラキラと輝く作品も塩ですか…?
山本:そうそう。塩をレジンで固めたもので。これは奥能登国際芸術祭に展示していた作品が地震で壊れてしまって、「直すのか/残すのか」を皆さんと議論する中で考えたものです。ただ直すだけでは“作業”になってしまうし、そのまま残すのもネガティブな方に振れすぎてしまうのではないか…。そこで震災遺構として壊れた作品は残しながらも、そこから未来につながっていくような、明るい方へ気持ちが向かっていくような在り方を模索しました。
その一つとして、崩れた塩でワークショップ(記憶のかけらプロジェクト)を開催することにしたんです。作ったアクセサリーやキーホルダーと一緒に「能登で何が起こったのか」ということも持ち帰っていただく。このプロジェクトは、珠洲にある金沢大学能登学舎マイスタープログラムのゼミ生の皆さんと立ち上げ、いまも活動を続けています。もともとのアイデアは、娘と一緒にレジンのアクセサリーづくりをしていて思いついたことなんです。そしてこの塩を固めた結晶で崩れた作品を彩る、再構築プランも現在進めています。
──なるほど。ただ「元に戻す」のではなく、壊れたところから新たに価値を生み出していく。これまでの作品へのスタンスにも通底するものを感じます。
一人で描くこと、描き直さないこと、自分のために描くこと
──そして現在は、コミッションワークをされる中で「塩」以外のメディウムを用いて描いておられます。
山本:ずっと「塩」のインスタレーションをやってきて、それでキャリアを築いてきたこともあるし、僕にとって「塩」は今も大切な素材です。だけど「本当にやりたいことは何か」を考える上で、「塩」はあくまで一つの手段にすぎないのだと気づいたんです。僕がやりたいのは「大切な人との思い出を忘れないためにつくる、そして今をちゃんと生きる」ということ。この上位概念が達成できていたらそれでいい。
もちろん、何でもいいわけではなくくて、自分の中でルールは設けています。「一人で描くこと」「描き直さないこと」「自分のために描くこと」。このルールが守られていれば、素材や技法にはこだわらない。もしかしたら”美術”という枠にこだわらなくてもいいのかもしれない。でも、仮に順位をつけろと言われたら、一番「塩」の作品がやりたいかなぁ(笑)。
──最後のルール「自分のためにつくる」というのは、どういった意味合いで?
山本:僕の作品って、すごくプライベートなテーマなので「現代アート」のコアにある文脈からは外れています。現代アートの歴史は、それ以前にあるものを否定するかたちで続いてきたものだけれど、僕はそこに沿っていない。若い時は、僕も「アーティストなら、社会的な問題をテーマにしなければ」と、コンセプトとかも結構無理をして書いてたんですが(笑)、「何か違うな」と。これからは、自分を起点にして作品を作ろうと決めたんです。
もう一つは、どんなに“個人的な動機”で作ったとしても、ある一定の割合の人たちは物凄く強く反応してくれるということが、これまでの経験で分かったから。“家族”のこと、“人の生死”って、個人的であると同時に、ものすごく普遍的なことでもある。自分のために作った作品が、回り回って誰かの救いになったら、そんなありがたいことはないなって思っています。
変わりゆくもの、のこす想い
──建築などのコミッションワークは、基本的に「のこる」ものが多いですが、そのあたりはこれまでの作品との違いなどありますか?
山本:まぁ時間軸の違いだけであって、形あるものはいつかはなくなるし、全ては無常ですよね。その「長い/短い」の差だけかなとは思っています。
もちろん「のこすこと」を前提とする作品をつくるからには、「いかに長くその状態を保てるか」ということにはかなりこだわっていますよ。どの素材の上に重ねたら割れにくいか、経年変化を受けにくいかなど、技術的な面では可能な限り完璧に近い形を追求したくなる性分なので。
──さすがの職人気質ですね。それでは最後に、今後の展望をお聞かせいただけますか。
山本:今は秋にある尾道での個展(山本基 個展「しろきうみへ」2026年 9月19日〜11月15日)のことで頭がいっぱいで、先のことはまだ考えられないかなぁ(笑)。次の個展は、これまでの集大成となるような回顧展的なものにしたいと思っているんです。“故郷”で行う展示って、やはりプレッシャーが大きいですね。特に高齢の両親には、僕の展示をみせられる最後の機会になるかもしれないから。
そうそう、今回は図録もかなり力を入れていて制作しているんです。将来娘に読んでほしくて、この図録だけはしっかり“のこそう”と思っています。
(取材:2026年 4月 )